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働くをテクノロジーで変える〜Hatatech Project〜

働くということ。インターネット、コンピューター、AI、雇用制度のゆらぎゆえの大企業・安定志向、起業のすすめ、フリーランス・ノマド、プロボロ、ダブルワーク、こんなワードが入り乱れる激動の時代にどうしたら皆が情熱を持ち、幸せに働けるのかを考える。思考の跡。

何が表現になりうるか

昔から表現者になりたいなって思ってました。あと、職人にもなりたいなって思ってました。

 

まぁ職人は置いておくとして、表現者って一体何なんだろうということを今日ふと思ったんです。なんでそんなことを思ったかっていうと、色々あるんですが、簡単に言うとこれからの生き方のビジョンみたいなものが私の中には今あります。その中で、なんか表現するクリエイティブな感じが足りてない!と思ったから。

 

ビジョンとは

大きくは3本柱で、1つは2年前から始めたジャズギターでもっと上達したいので毎日練習しています。まだまだ初級者ですが、この情熱と探究心があれば将来的にはかなり上手くなると思っています。焦ってないことも、そう思える要因の1つです。ずっと続けていって上手く弾けるようになるぞ!という感じ。将来的には月に何回かライブしたりして、ずっとギターを弾いて生きていきたいなぁというゆるビジョ(ゆるめのビジョン)です。だからと言ってできることばかり練習していてはぬるま湯状態なので、できないことに挑戦する練習を毎日しています。

 

2つ目はメインでやっていきたいと思っている複業する人たちをつなぐサービス作りです。複業(副業)が解禁という世の中の流れはあるものの、副業でみんなが起業するわけじゃあるまいし、となると他の会社の仕事もするというのが私の考える副業です。ですが、この何社かに掛け持ちで勤めるダブルワークは労働基準法における残業代絡みの煩雑さがありますし、そもそも解禁!とか言ってる会社も、「副業なんですけど御社で働きたいんです」と言われて、自分の会社が副業される側になるとは思ってないわけで、副業の受け皿となる会社がほぼないのが現状です。

こういった壁がある限り、副業が解禁となっても、副業が一般的になる社会には程遠いと感じています。壁を崩す方法として私が思いつくのは2つ。1つはスマホが爆発的に広まったように、テクノロジーによって副業が当たり前の社会に変わらざるを得なくなるようなサービスを作ること。もう1つは制度を変えて強制的に社会を変えること。2つ目は完全にお役所的なことなので、少なくとも今の私にはすぐには難しいです。役所に勤めようと勉強して試験受けてる間に何か世の中が変わりそう。。そんなことに思いを巡らせた結果、1つ目のサービス作りをやりたいなと思ったわけです。サービス作りのイメージはプログラミングを使ってウェブサービスを立ち上げる、というものです。初回で立ち上げたサービスがすぐに世の中を変えられる力を持てるとは思っていませんが、自分の中でもさらに進んでいくきっかけになればと思っています。

 

3つ目は国際支援NPOの設立です。これまたかなり唐突感がありますが、英語に関わる仕事やグローバルな仕事がしたいとここ数年ずっと思っていました。そんな時、先日このブログでも書いた国際支援ボランティアに行っていた高校時代の友人とランチをしました。単純に感動した私は何かできることがあれば協力したいので声をかけて、と伝えました。翌週その友人とまたランチをすることになったのですが、その時にNPOを立ち上げたいから一緖にやろうと言われました。国際支援のことは全くわかっていない私ですが、私が立ち上げに協力し関わることで間接的に支援することになるのかもと思い、一緖にやらせてほしいとお願いしました。そもそもNPO設立の準備など全く知らないことを一からやらなくてはいけないわけですが、自分のスキルで一からものを作り上げたいと今は思っています。死ぬほど自己中で自分の人生を全うするのは必死な私ですが、死ぬまでにわかりやすい形で世の中の役に立ちたいという想いはやはりあります。

 

表現とはいったい

こんなビジョン三本柱について、それぞれにどのように取り組んでいくか、、長期目標を立て計画立てをしていた時に、ふと「表現することが足りてないなぁ」と感じたんです。ギターは音楽として表現の1つとも言えますが、なんかしっくりこない。自分の中で表現の手段と言えば、本を書いたり、絵を描いたり、映画を撮ったり、写真を撮ったり、踊ったり、デザインしたり、ということなんです。自分がギターを弾いてることも表現と思ったことはあまりないんです。

 

この差は、この違和感は、なんだろう。

たぶんこれは自分の中の表現ということに対する先入観でした。テレビなどでいわゆる芸術家が巨大な絵を仕上げる過程とかドキュメンタリーでやってますよね。役者が密着されてるものとか。あーゆーのを見て、表現とは悩み苦しみ、眉間にシワを寄せながら、私は表現したい!表現してるんだ!と悶絶しながらするもんだとあう先入観があったのかなと。その作品には鋭さがあり、社会風刺的でとかね。

 

でも表現はそんなに制約があるものじゃないのでは。私のビジョンもまさに表現の1つなのかもと。多くの人が幸せに副業して自己実現してる世界が見たい。だから世の中を変えられるようなサービスを作りたい。それに向かって動くこと自体が表現って思いたい。ギターはまだまだペーペーなので表現とかよくわかっていないけど、弾きたいってうちから湧き出る気持ちは表現につながる情熱なのかも。NPOは単純に尊敬できる友達の助けになりたい。

 

んー何が表現になりうるか。とりあえず今後は踊りたい。森山未來みたいに笑